八朔のこと

ちょっとした用件があって実家に戻った。駅までは父親が迎えに来てくれた(これは、バスの便が悪い田舎に住んでいるのでまあ普通)。遅い夕食後、「世界ふしぎ発見」を見る(毎年この時期になるとリニューアルされるが、なんとなくセットがけばけばしくなっていく印象がある)。父親が八朔を剥いている。真ん中に二本平行な切り込みを入れて、ベルト状に皮をはずしてから、上と下の皮をねじって剥く。器用だなーと思いつつテレビを見ている私の横で、妹はベルト状になった皮の匂いを嗅いでいる(なぜか知らないがそういうことは私もたまにする)。父親はというと中身の白い部分(維管束だっけ?)をフルーツナイフではいでいる。妹は皮を父親の手首に巻いて遊んでいる。きれいに剥き終わった八朔が、これもきれいに外した八朔の皮の中に置かれる、と、にゅっと手が伸びる。妹と、わたし。顔は似ていないとよく言われるが手の形は同一人物のようにそっくりだ。きれいに三分の一ずつ八朔が取り分けられる。というような光景。そんな風景は、およそあらゆる柑橘類を食べるとき、我が家で見られる。


そしてそんな風景は、私の所属する某文芸サークルでも見られる。いつだったか、誰かのおみやげで部室に梨があったとき、男性が交代で皮を剥き、女の子たちは黙々と、あるいは歓談しながら、それを平らげていたのであった。


だから、私が八朔を一人で食べることができないからって、私一人の責任じゃない、と、思う。ナイフを入れたら果汁が目に入って大騒ぎしたり皮を外そうとして身に指を突っ込んだりまた果汁が目に入ったり、房を分けそこなったりまた果汁が目に入ったり。